ゴールデン大和

発売時期 発売時価格
1961/10 ¥260



前述のように、助手はおだやかな気持ちでこのキットを組み始めました。40年前のタミヤ初のプラスチックモデル「大和」と同じ型の製品です。一つ一つに当時の試行錯誤の跡が見られ、限られた時間の中で噛み締めるように進めていきました。

1960年5月に発売されたタミヤ初のプラスチックモデル「大和」が思うように売り上げが伸びず、1960年11月に箱替えで「武蔵」が発売されました。余談です。今からでは考えられないのですが1950年代に「戦艦大和」の名前が木製模型メーカー“にしき屋(JNMC)”によって商標登録され、“にしき屋”以外は模型にこの名前が付けられない時期が1960年代後半まで続きました。やむなくタミヤは同型艦の「武蔵」に走り、木製模型で実に11種類の「武蔵」を発売しました(¥4300のスーパーデラックスから¥100まで)。「今評判の田宮の戦艦武蔵」のキャッチコピーの広告は1957年(S32)の日本模型新聞に度々登場しています。ちなみに確認は取れていないのですが、どうも「戦艦大和」が登録されたので「大和」はかまわないという解釈が成り立ったのか、他社からも徐々にと「大和」が出始めました。そんな思い入れのある「武蔵」の名前をもってしても、やはりプラスチックモデル「武蔵」は売れませんでした。

1960〜1961(S35〜36)年というのはまさに模型業界が新素材プラモデルへ激動的に移る時期です。他社が続々と新製品を発表する中、タミヤは完全に出遅れました。時代に乗り遅れているとわかっていながらも金銭的な理由で良質の木製模型を開発するしかなかったのです。ここに興味深いある記事がありますので大意を抜粋します。

「国産プラモデル全製品取扱ひ」
マルサン 零戦52型、十式艦攻、など34種類
三和 F104、センチュリオン戦車など24種類
日模 スーパーカブ、M46パットンなど12種類
今井 戦艦霧島、鉄人28号など4種類
三共 ピーナッツシリーズ17種、キャノン砲など33種類
(1961/02/05号日本模型新聞より)

まさに模型界の革命であるプラスチックモデルに敏感に反応した企画のこの表には、その他のメーカーも合わせて16社のラインナップ160種類の製品名がすべて明記されているのですが、さて我がタミヤは何種類載っていたと思いますか?答えは...“そもそもプラモデルメーカーとしてタミヤの名前がない”でした。実際この時期に製品としては先の「大和」「武蔵」の2種類があったのですが、どういった経緯からなのか載っていません。表を見てもわかるようにマルサンからはすでにオリジナル名作「十式艦攻」が発売され、新興勢力今井からは今やマニア垂涎の「鉄人28号」が発売、ニチモも画期的な初の動力戦車M46を発表し、三共はピーナッツシリーズが完全に定着しつつあります。タミヤの焦りは想像に難くありません。

そんななか、ようやくタミヤは1961年6月にプラスチックモデル第2作の「サンダーボルト」を発売し、10月にこの「ゴールデン大和」が発売されました。伝説の「パンサータンク」発売の2ヶ月前のことでした。この10月には1/250の「天山・零戦」、11月には発泡スチロールキット「ミサイルタワー」が発売になっているので、当時のタミヤの奮闘ぶりがうかがえるでしょう。成形色替えと簡単に言いますが、当時はやはり大変です。マニュアルはないので俊作社長自らがどうしたら金色に見えるか素材から実験し、製品としても自ら攪拌したそうです。成分の重さが違うためにすぐに沈殿する層があり、いかに均等にムラなく型に入れるか苦労したそうです。

キットの組み立てに話を戻しましょう。無改造、無塗装の素組み...基本に立ち返る(って、助手は完全な出戻り初心者組ですので、元々ワザはありません)のですんなりいくかと思われたのですが、いかに今まで塗装に助けられていたのかを実感しました。例えば接着剤のはみ出しは致命傷です。パーティングラインを削ったとしたら、その後の表面処理をまわりと同じにしなくてはなりません。艦橋は左右一体成形で良くできているのですが、正面にあるパーティングラインを綺麗に削り取っても永久に線が見えている??(写真5枚目)。これは金型に流し込んだ段階で混合素材として線が付いてしまっているわけでどれだけ削っても取れないのです。角度を変えた写真で表面が平らなのにラインが見えていることがよくわかると思います(写真6枚目)。

ところで助手は例によってミスを犯してしまいました。この艦橋のてっぺんに付く測距儀を差し込む穴があいていないので自分で開けることになります。指示もないので「だいたいこのあたりだろう」と開けておいて差してみると、どうもイメージがちがう。そこで最近発売された1/700ウォーターライン大和「金メッキ版」を取り出してみると、ゲゲッ!少なくとも中央より後方寄りに開けなくてはならないのを前方寄りに開けてしまっていたのでした。平時ならあらあらで済むところですが、無塗装では致命的で結局修正後も埋めた穴の跡が残ってしまいました。

トラブルもありました。組み立て前の検品の段階であることに気が付き絶望的になっていたのです。なんと艦橋の上に付く測距儀パーツが無く、替わりに煙突の後方に付く測距儀が2個入っているではありませんか。わかりやすく言えば艦橋の上の左右に付くメッシュ状の電索が無いのです(「大和」の項目でちゃんと抜けている!と絶賛したあのパーツです)。40年前のタミヤに問い合わせればすぐに送ってくれたでしょうがそうもいきません。結局当研究室ではそのまま完成させましたが、「田宮模型全仕事3」の撮影時にはあるところから侍が現れて????正しい歴史を後世に残すことが出来ました。

ちなみに「ゴールデン大和」になって「大和」「武蔵」から改良された点があります。それはスイッチです。「大和」「武蔵」では第3砲塔の後方に金属製のスイッチがむき出しで出ていたのが、この「ゴールデン大和」では第2砲塔の下に回転式のスイッチが埋め込まれ、この砲塔を回すことでスイッチが入る仕組みになりました。

かつて当研究室では「ゴールドとは名ばかりで実際には茶色に多少金粉が混ざった程度」と書いてしまったのですが、実際に作り始め、一つ一つのパーツを丁寧にコンパウンドで磨いていくと...光りました!光りました!金メッキのチャラチャラしたものとは完全に一線を画す奥行きのある光です。完成写真の艦首部分に見てとっていただけますでしょうか...40年の眠りを覚ました神々しさです。


さあ!作るぞ!! 主砲塔、クレーン、舵等が見える。
3連装主砲、副砲、展示台も見える。 艦橋と煙突。それぞれワンピース!
測距儀の穴あけが前過ぎて失敗。埋めてある。 左では縦割りのパーティングラインが見えていたが...
今度は正確に。前回の埋め跡が残ってしまった。 多少のソリがあったので糸で固定。
作業台全景。 艦橋の後方に付く「3本のヒゲ」は瞬着点付け。
マストも瞬間接着剤の無い時代では組み立て困難か。 カタパルトの向きが当時の設計図とは前後逆。

かつての当研究室の表紙。コンパウンドで丁寧に磨けば...光りました!