大 和


発売時期 発売時価格
1960/05 ¥300



タミヤが初めて世に問うたプラスチックモデル「大和」の登場です。かつて当研究室でも“タミヤ初のプラスチックモデルは「武蔵」”として研究発表を行いましたが、その後の「田宮模型全仕事3」の編集取材過程で初のキットは「大和」であったことが判明しました。ここではかつて「武蔵」として紹介された研究発表を大幅に増補改訂して紹介します。

意外に知られていないことですが、タミヤの前社長田宮義雄氏(俊作社長の父)は、戦前は運送業を営んでいました。トラック運送はもちろん、タクシーや路線バスもあり、静岡で1,2位を争う会社に成長しました。しかし太平洋戦争が勃発し、殆どの車両が軍にかりだされ、そして二度と戻ってこなかったのです。焼け野原の静岡から1946年に早くも「田宮商事合資会社」が誕生し、材木関係を扱って業績を伸ばし木工部門も誕生。さあこれからという時の1951年に漏電で工場が全焼してしまいます。しかし不死鳥のように甦ったタミヤは程なく木製モータライズ戦車や木製「武蔵」などの大ヒットにより一躍木製模型のトップメーカーに成長、木製の船体を自動的に削り出す最新機械のフライス盤も投入し、まさに順風満帆に見えたその時、好事魔多しアメリカから「黒船」がやってきたのです。

「黒船」の正体はもちろんプラモデル。俊作氏の受けた衝撃は現在の我々の想像を遙かに上回る物だったでしょう。「あんなものはオモチャだ、邪道だ、模型じゃない」と何度頭から振り切ろうとしても出来ません。答は簡単、俊作氏自身が初めて見た瞬間にプラモデルを認めてしまっていたからです。プラモデルへの転業はそれまでの木製模型の設備や人脈を丸々捨てることになりますし、ノウハウも全くありません。それでもやはり未来広がる茨の道プラモデルを時代が選択させたのです。わずか十数年後に世界のトップメーカーに登りつめるタミヤの「世紀の決断」でした。

その記念すべきタミヤのプラモデル第1号がこの戦艦「大和」です。開発までの筆舌に尽くし難い苦労話は名著「田宮模型の仕事」に任せるとして(この本では最初のキットは「武蔵」として扱われていますが、このことでなんらこの本の価値が下がるものでないことはわかっていただけるでしょう)、早速キットを見ていきましょう。処女作であるこのキット、当初の値段設定は¥500だったのですが、直前に発売になったニチモの大和の値段を見て、泣く泣く¥300に値下げして売り出しました。この発売時の値段については諸説あります。当時「定価」は存在せず、「¥000程度」という表現が使われていたのですが、件の日本模型新聞のタミヤ広告や資料から¥300とするのが正しいことがわかりました。当研究室で保存していた初版「大和」にも¥300の値段シールが表面に貼ってあり、小さな裏付けにもなりました。キットの出来としては十分合格点(と言うよりニチモを圧倒していた)でしたが、ライバルのニチモの方が縮尺の関係でやや大きな模型だったことや、吃水線より下が赤色成形色で出来ており塗装不要でツートンカラーが再現できたことなど、ニチモに一日の長があり、結 果は惨敗でした。その後箱替えで「武蔵」や成形色替えで「ゴールデン大和」、船体下部のみ流用の「信濃」と出しましたが、いずれも大ヒットになったという歴史はありません。

血塗られた鉛色の空に重厚な船体が浮かぶ迫力あるボックスアートは、現代のキットと全く画風が違います。当時タミヤの軍艦木製模型の大半はボックスアートを上田毅八郎氏に頼んでいましたが、どうしたわけかこのプラスチックモデル「大和」に限っては上田氏に依頼しておりません。「う〜ん、これは僕の絵じゃないなあ」と上田画伯ご本人がおっしゃいました。そう言われてみれば明らかに他の作品と画風が違います。「田宮模型全仕事3」の出版に当たりどなたの作品かとかなり捜し、2,3人の候補までたどり着いたのですがどうしても最終確認が取れなかったため、作者については触れてありません。もし、もしどなたかご存じの方は当研究室までお知らせ下さい、お願いします。改めてボックストップを見てみましょう。プラモデルは輸入品という時代ですから、そこかしこに意識して英語が書かれています。そして誇らしげに1/800というスケールが丸の中に輝きました。箱を開けると黄色の厚紙で段差が作られ船体上部が一段高くレイアウトされています。そして個々のパーツを見ていくと...驚きます!艦橋の上につく測距儀は一 体成形なのですが、なんとメッシュの穴がちゃんと抜けています!!実際に写真を見ていただくとプロポーションも素晴らしいのがわかっていただけると思います。そして説明書にも驚かされることが満載です。まず、スタッフの名前が書いてあります。設計にあたったのが焼津の軍艦好きの床屋さんである四之宮初次さん、それまで木製キットの図面も何度か書いていただいていたそうです。そしてレイアウトとして俊作社長(当時は企画員でしょうか)の弟である督夫氏(当時大学生!)の名前もあります。首謀者?でありながらあえて自分の名前は残さなかった奥ゆかしさを持つ俊作氏のこだわりはまだまだ続きます。その一つが部品一覧表、只の組立キットではなく「教材」としての価値が見いだされ、作りながら勉強になること請合いです。そして驚くのが部品請求カードがなんとこの時期から付いている事です。私事で恐縮ですが、なぜ当研究室助手が少年時代からこんなにタミヤに入れ込んでいるかというと、キットの出来は当然ですが、つたない小学生の字で部品の欠損について恐る恐る手紙を出したら、丁寧な返事に大量のカラーパンフレットと合わせて部品が届き、「タミヤって凄い!ボク達 の味方なんだ!!」と、すっかり感動した幼児体験があるからなのです。「お客様を大切に」は陳腐なスローガンに思えるかもしれませんが、この時期からしっかりと実践していたことが「世界のタミヤ」に成り得た資格だと考えます。

動力部などは木製模型時代に培った実績で金属部品を多用し、安心感があります。しかし...売れませんでした。成形色を替えて「ゴールデン大和」としても売り出しました。「ゴールド」と言っても茶色に多少金粉が混ざっているといった感じですが、外箱のワクワク感はなかなかです。船体上部にマイナーチェンジがあったことも付け加えておきましょう(写真参照)。そしてついに「信濃」も登場します。タミヤの信濃といえば幻の秀作1/250木製模型がありますが、驚いたことに調べてみると発売時期は木製スーパーデラックス1/250「信濃」の発売が1967年5月、プラスチックモデル1/800「信濃」の発売が1967年6月(「田宮模型全仕事3」初版では5月になってますが誤りです)。なんとほぼ同時期に発売になっていたのですね。1/800の艦載機はプロペラまで一体モールドされた優秀な物です。スイッチ金具などもより簡略になり、年少者にも優しくなりました。そして注目?は船体左に付けるランナーです。一瞬何かなと思うのですが、空母はその構造上(艦橋等がある為)左右非対称で、モーター走行させたときの傾き防止の役割があるのです。キットさえ出せ ば走るかどうかは知りません的なキットがまだ沢山あった時代に、消費者へ向けての思いやりがうかがえる象徴的な部分です。

およそ40年の時空を越えて、現在タミヤからはリニューアルの1/700ウォーターライン「大和」「武蔵」「信濃」が発売され、世界中の艦船マニアに絶賛されています。この1/800処女作プラモデルの「大和」「武蔵」「信濃」もそのルーツであり、重要な時代の証言者としても存在しています。

「田宮模型全仕事3」の編集に当たりこの3作の“完成品”を捜しました。静岡タミヤ歴史館には「大和」「ゴールデン大和」「信濃」の未組み立てキットは保存されていますが“完成品”はありません。日本初のプラモデル同好会T・P・M・C(東京プラスチック・モデル協会:1962年設立)の会長である遠山高寛氏が快く協力して下さり、模型界黎明期の重鎮の方々にも問い合わせたのですが残っていません。先代三遊亭金馬師匠から「いやあ色々捜したんですが見つかりません」と直接電話を頂いたときはあまりの恐れ多さに卒倒しそうになりました。もともとこの探索が大きな事業になることは想像がついており、その前の「田宮模型全仕事2」の編集中から並行して進めていたのですが、このあたりで当研究室助手はハラを決めておりました。「歴史を世に残す本であるのに御上の一大事。当研究室保存の「ゴールデン大和」「信濃」を作ってしまおう」...

「田宮模型全仕事3」の編集長である平野氏が、助手のただならぬ(?)決意を感じ取られたかの働きかけて下さったこともあり、ついに静岡タミヤ歴史館にこの完成品が無いことが田宮俊作社長の耳に入りました。「う〜ん、そうか。でも金型は処分してないはずだから抜けばいいだろう」「えっ!...」

我々が選択肢として考えもつかなかったことをおっしゃるのは流石です!そして慌てたタミヤメディア担当U氏が関係部署に問い合わせて捜し出してもらい35年ぶりにその金型が表に出てきました!!これで出来る...しかしなにぶん40年前の金型で、現代の射出成型器とは規格が違い装置に取り付けることが出来ません。一瞬の喜びからまた絶望へと変わっていきました。その後、関係者の努力が実り大きなパーツのランナーは取り付けることが出来ましたが、細かいパーツは無理です。結局この細かなパーツは金型に手作業でキャストを流して複製するという方法を取り、ついにその姿を現したのです。暦は9月に入っていました。9月25日の本の発売を考えるとまさにギリギリでした。結局この完成写真だけは校正刷りを全く経ないで飛び込ませるという綱渡りで皆さんの手元に発売日通り届いたのです。「大和」「武蔵」「信濃」の3作は幕張で行われた全日本ホビーショー(2000/09/21)のタミヤブースにも展示されました。

これですべて目出度く揃ったと考える方も多いでしょうが、誰もがある一つのことを考えていました。そう「ゴールデン大和」です。

どんなに複製してもあのゴールデン大和の成形色はよほどのことをしない限り再現できませんし、納得できません。金色で塗装するなどもってのほかです。当研究室助手は喜んで手持ちの「ゴールデン大和」の製作に入っていました。一切の改造どころか成形色を素で見せるために塗装もしない。作り始めれば何とかなると思っていましたが、またまたドラマ(?)が待っていました...(つづく)


これが「やはり売れなかった」という箱替えの「武蔵」(画像協力:武山様)
成形色を「ゴールド」にもしてみたのですが...
ついにはお約束の「信濃」も...


「大和」の全貌。“しおり”付き。 一体成形測距儀のメッシュがちゃんと抜けている!
艦艇内側の地球儀マークの刻印。 スクリュー、スイッチ、ジョイント、すべて金属製。
信濃:彗星?流星改?プロペラも一体モールド。 信濃はスイッチが変更。ゴムジョイントに...

上:大和。中:ゴールデン大和。下:信濃。「大和」と「ゴールデン大和」との金型の違いに注目。

武蔵の説明書全貌。

最初のキットから部品表がある。これで勉強できた。

「田宮模型の仕事」に出てきた「プラスチック用接着剤の使い方」。部品請求用紙があり、アフターサービスを当初から重要視していた証明。

めずらしい「署名」。なぜS.TAMIYAが無いのか.. 木製模型時代に培った技。スイッチなどこなれた金属部品。

「信濃」の説明図。傾き防止の「ランナー接着」に注目です。

全日本ホビーショータミヤブースにて (2000/09/21幕張)
35年ぶりに再現された「大和」
艦載機まで完全再現。「信濃」