田宮模型全仕事


田宮模型全仕事1(AFV編) 2000/05発売
田宮模型全仕事2(車、バイク編) 2000/07発売
田宮模型全仕事3(船、飛行機、その他編) 2000/09発売
田宮模型編 / 文春ネスコ発行 B5版190ページ(カラー96ページ) 各2800円

全3巻購入者ピンバッジ発送開始

1997年に出版されたベストセラー「田宮模型の仕事」のビジュアル版である「田宮模型全仕事」が、この度発売されました。タミヤが木製教材模型メーカーとしてスタートしてから今日までの全製品がカラー写真で紹介されている全3部作です。

誠に畏れ多く信じられないことですが、なんとタミヤ本社から当研究室助手に依頼があり、キット提供も含め全面的に編集に協力しております。あくまでも夢のまた夢の理想であった当研究室助手のライフワークがこんなにも早く実現してしまいました。1999年12月にこの話を頂いてから、実に5ヶ月。途中、予期せぬ不測の事態を幾度と重ねながらHPの更新を実質ストップさせて全精力を使い果たし、まず1巻目が完成。そして怒濤の勢いで2巻、3巻と発行となりました。自分の与えられた範囲で120%の「仕事」が出来たと思っております。タミヤの歴史が一目で分かるエンサイクロペディアが出来ました。

第1巻では、p122〜p190を担当。1/16と一部の1/25等を除いて、ボックスのカラー写真はすべて当研究室所有物を撮影したものです。第2巻には編集長に新たに元モデルカーマガジン編集長の平野克己氏を招く事が出来、目玉のスロットレーシングカーを史上初めてカラー写真で完全網羅。当研究室助手は田宮俊作社長、岡部和生氏のインタビューを含め、全国に点在する貴重な各キットのオーナーとの連絡や発売年度を含めた歴史的検証などの後方支援にまわりました。そして第3巻では大変な発見がありました。

多数の木製キットについてなど困難が事前に予想されていたので第2巻の締め切り前から各地にアンテナを張ってご協力いただき、資料を収集していました。実はタミヤ初のプラスチックモデルと言われている「戦艦武蔵」の発売年月が特定できなかったのです。断片的に集まる数少ない資料から考えてもある矛盾が生じてきたのもこの頃でした。そしてタミヤのメディア担当のU氏からも「どうも武蔵より大和が先に出ていたような気配があるのですが」との言葉を頂き、いよいよ深みにはまります。時を同じくして別件で捜していた「日本模型新聞」の発行元(現:ジートッププレス)に連絡が取れ、村岡取締役のご好意により、保存してある昭和25年の創刊号から閲覧の許可を頂いたのです。文春ネスコの編集担当U女史の地道な努力が功を奏しました。

2000年7月1日。U女史と2人でジートッププレスにおじゃましたした助手は、膨大な量の日本模型新聞のバックナンバーのページをめくりました。調べたいのは武蔵の発売年度だけではありません。はやる気持ちを抑えつつ必死に付箋を貼り続けました。「おお!これが田宮の木製機関車の完成品か!」「マルサンのノーチラスの発売広告だ!」作業を始めて2時間ほどたった頃でしょうか、ようやく昭和35年に辿り着きました。そして決定的な瞬間は意外なほどあっさりと訪れました。

残念ながら昭和35年の1月〜4月分はジートッププレスでも散逸しており閲覧できなかったのですが、昭和35年7月15日付け通巻337号に「中央卸標準価格」と題されたページを発見しました。各社の製品ラインナップが全て載っており、そこで田宮模型の欄に「大和 オールプラ 210」の記述を発見したのです。他はセミプラの3点と木製模型のみです。この瞬間タミヤ初のプラスチックモデルは武蔵ではなく大和だったことが確認されました。そして翌7月25日付け第338号(当時は月3回発行)に日付を特定させる決定的な田宮模型の全面広告を発見したのです。この広告はそのまま「田宮模型全仕事3」に転載されております(ちなみに保存状態の良い8月5日付け第339号の同じ広告を使っています)。

今ここに3巻揃って眺めてみると、いかにタミヤの歴史をまとめるとはいえ、一マニアの重箱のスミをつつく無理難題な要求をよくぞ聞いて下さったものだと感謝の気持ちで一杯です。おおらかな心で受け入れて下さったタミヤメディア担当のU氏、デザイン担当のY氏、そしてなによりも田宮俊作社長に改めて感謝いたします。

(2000/09/25)

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