小松崎茂先生の訃報に接し・・・



小松崎茂先生は2001年12月7日、鬼籍に入られました。86歳でした。

田宮俊作社長をして「会社の恩人」と言わしめた方です。小松崎画伯が初めてタミヤのプラモデルのボックスアートを担当した「パンサータンク」の発売が1961年12月。まさにあれからちょうど40年の節目に先生は旅立たれました。

人と人との縁とは本当にありがたいもので、当研究室助手は柏の小松崎先生宅に何度かお邪魔させていただき、各種展示会やパーティーでも挨拶をさせていただきました。輝かしい先生の人生の中の最後の最後に少々お付き合いいただいただけの助手が、ここで稚拙な筆で何を書いても鎮魂にも何にもならないことは重々承知しているつもりですが、どうしても何かしなくてはいられずキーボードを叩いています。徒然なる駄文ですが少々お付き合いください。

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当研究室助手が先生のお宅に初めてお邪魔したのは1999年2月14日、ちょうど先生が84歳の誕生日を迎えられた日でした。サンダーバード研究家の伊藤秀明氏が先生と懇意にしておられ、その伊藤氏と何度か話をしているときに「そうだ、今度先生のお宅へ一緒に行きますか」と誘われたのです。もちろん一も二も無く承諾し、先生のご都合を聞いての訪問日がまさに先生の誕生日だったのです。前日から年甲斐も無くドキドキしていたのを今でも覚えています。絵をたしなむわけでも何でもない助手がこんなに期待と不安に胸躍らせていたのですから、絵を見てもらおうとしていた当時の方々の気持ちはいかばかりだったでしょう。

先生は想像以上に小柄な方でした。しかし鋭い眼光と驚くべき記憶力、弁舌あざやかに、しかし時折見せる人なつっこそうな笑顔。助手は背筋をピンと伸ばしながらお話をうかがいました。「ほう?まついサンはタミヤの研究をしている?面白い人が現れたな〜。タミヤはね・・・」夢のようなひと時でした。

小松崎画伯の自宅は1995年1月、失火にて全焼しました。原画など数万点の資料が焼失。しかし当時80歳の画伯は驚異的な精神力で再び絵筆をとり復活したのです。根元圭助氏(小松崎画伯の弟子で、画伯について資料をまとめ著書も多数あるマネージャー的存在)を始め沢山の方々が焼け残った資料の整理を根気よく続けていらっしゃいました。伊藤氏はそのメンバーの中心人物の一人です。

伊藤氏はその日も小松崎邸の別棟の倉庫に入り、焼け残ったり水をかぶった資料を整理します。もちろん私も手伝いました。そこから出てきたのは当時タミヤから送られた多数のサンプルキットでした。「これならお役にたてる」・・・きっちりと分類し、梱包しなおしました。

夕方になって再び小松崎画伯と色々と話し込んでいると「まついサンはタバコはやらんのかね?」との言葉。この時ばかりは禁煙派の私は自分を恨みました。先生からタバコを1本頂き火をつけてもらえるのですが、これはかないません。「それじゃあ、あれだ」と、今度はフランス製のクッキーが出てきました。見た事も無いブランドで恐縮しながら1枚いただくと、「お土産に持って行きなさい」と奥様に奥からカートンを持ってこさせ先生自らが封筒にいくつか入れてくださるのです。あとでわかったことですが、これは先生のお宅にお邪魔した人への恒例でした。

事前に伊藤氏から聞かされていた注意事項はただ一つ「おなかをすかせてきてくださいね」でしたが、理由は程なくわかりました。「じゃあ、夕飯でも食べにいこうか」との先生の言葉で外へ出ます。先生はいつもの独特の服装に愛用の長靴!?慣れた手順でTAXIが既に呼んであり、某高級中華料理店に着きました。先生がメニューを取り出し、すらすらと注文を始めます「え〜とね、○○に△△と□□、それに▽▽もだな、おっ、◎◎も食べたいな」・・・先生は見かけによらず沢山召し上がるんだなあと思っていたら大間違い、「まついサンは若いんだから沢山食べてね」「えっ!?」横で伊藤氏が笑いをかみ殺しています。そうなんです。先生は沢山注文してそれを人に食べさせるのが楽しみなのです。ご自身はほとんど召し上がりません。狙われる(?)のは決まって一番年下の人物、先生と伊藤氏と私の3人ですから今回は私でした(^_^;)。聞けばいつもこの役目は伊藤氏なんだとか。先程の笑いの意味が良くわかりました。

助手が脂汗を流しながら表情には微塵も表さずに何とか食べ終えた頃、「そうだなあ、蟹焼飯を2人前と・・・」と真顔で追加注文なさってました。お店を出る時は、これまた別に注文してあった奥様への料理のお土産を持ち、私たちへの言葉は「十分食べたかい?」でした。

小松崎邸再訪の機会は意外にもすぐの3ヵ月後に生まれました。1999年5月4日、「小松崎茂〜プラモデル・パッケージの世界」の出版お礼に向かう平野克己氏についていったのです。この本の出版にほんの少しだけ協力した助手の役得でしたが、今回は6時間も話し込ませていただき貴重な話を沢山うかがいました。この時、それまで先生に何度も会っていた平野氏が先生にあるお願いをするのに「まついさんも一緒にしましょうよ」と誘われており、大胆にも助手もお願いしてしまいました。それは先生に“絵を描いて頂く”事だったのです。聞けば沢山の方々が同様なお願いをして順番待ちになっていて、仮に聞いていただけたとしても、それが1ヵ月後になるかあるいは3年後になるかは全くわからないとの噂でしたが、幸運にも「では描いてみましょう」との返事を頂けました。ちなみに6時間も話し込んだ仕上げはステーキハウスへ直行。もちろん今回も一番年下は私でした(^_^;)。

その後、何度か機会を見て連絡をとらせてもらっていましたが、この年の暮れから「田宮模型全仕事」の編集協力の依頼が入り助手が全く動けなくなりました。「田宮模型全仕事1」の助手が担当した部分はまさに小松崎ワールドです。先生に色々うかがっていたエピソードがここで活きました。最終入稿でギリギリの毎日を過ごしていた2000年3月のある日、平野氏から興奮した声で電話が入りました。「先生が私たち2人の依頼分の絵に取り掛かっていらっしゃるらしい・・・」「えっ!」

2000年4月19日、「田宮模型全仕事1」の校正で文春ネスコに缶詰になっているさなかに時間を取り、平野氏と一緒に再び柏の小松崎邸に向かいました。私たちを迎えてくれたのは小松崎先生だけではありません、2枚の絵があったのです。・・・「まついサンは何の絵がいいのかね?え、戦車?・・・戦車はしばらく描いていないからなあ。でどんな戦車が好きかね?」「そ、それは・・・やはりタミヤに最初に描いていただいたものと同じ戦車であるパンサーです」・・・こんな会話をしてから間もなく1年の月日が経とうとしていました。

既に額装までされた絵が箱に入って助手の前にありました。

「開けてみなさい」
「は、はい」

フタを開けたとたん、サッと風が吹き抜けたかのような衝撃と共に、今まで見た事も無い彩色のパンサーが飛び込んできました。

「戦車は久しぶりでねえ、資料に苦労しましたよ。ほらね、ここのこれですよ。1943年8月、ハリコフ〜ボゴドウホフ間の戦線に・・・」

いくつかの資料写真にパースラインの書き込みがあり(これは当然といえば当然なのでしょうが)、涙が出そうになりました。あの「Komatsuzaki」のサインの下に「2000」の数字まで書いてあります。あのサインに「2000」という文字の組み合わせがあまりにも新鮮だったので、後で先生の描かれた戦車の絵の歴史を調べてみると、一般には1975年の日東のジオラマセットのボックスアートを最後に四半世紀近く発表されておりません。我ながら大変なものを頼んでしまったと後になって震えが来ました。また、余談ですが、頼んではみたものの代金を一体おいくら払えばよいのか見当もつかず逡巡していたのですが、「君たちからはそんなにお金は取れないよ」と、信じられないほど安価な額の請求でした。この時に頂いた先生直筆の領収書も今となっては貴重な宝物になってしまいました。

その後先生には「田宮模型全仕事2」、「タミヤニュースの世界」でもお世話になりました。今から思えば最近はご無沙汰しており、最後に直接お会いしたのが2000年夏の「昭和ロマン館」のオープニングセレモニーでした。21世紀に入ってから、どうして会いに行けなかったのかと、この期に及んで後悔する事しきりです。

------先生、お会いしてうかがいたいことが、まだまだ山の様にありました。なんとも残念です。しかしこんな若輩者にも真摯な姿勢で対応してくださった先生のお人柄は生涯忘れません。本当にありがとうございました。どうか安らかにおやすみください。


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正直、先生に描いていただいた「絵」に関しては多くを語るつもりは無く、このまま静かに所有するつもりでした。実際、私がこの様な「絵」を所有しているのを知る人は片手で数えられる人数しかいませんでした。今回、こんな時に「絵」の話を持ち出すのは「私だけが持っている。凄いだろう」という風に取られかねず、悩みました。しかし私が先生への感謝を表す一番の出来事がこの「絵」なのです。機会を見て、そっとこのページに「絵」の画像をUPします。

「田宮模型全仕事」が完成して先生に贈った時に「まついサン、これはいい本だよ!ありがとう」とおっしゃった言葉が今でも忘れられません。

先生、こちらこそ本当にありがとうございました。

(2001/12/08)