カーキャリアタイプの再製作

カーキャリア部分も「汚し塗装」を施しました。


トレーラーのフルスクラッチをしてからほぼ1ヵ月後、カーキャリア部分が素組みのまま放置されていたので、再塗装し、ディテールアップする事にしました。

キットの組み立て説明書上でも最上部にワイヤーを張る指定をされていたのですが、当初の実験の時はそれもオミットし、塗装も缶スプレーの1色で、「汚し塗装」もしていませんでした。そこで一気に仕上げて屋外で撮影しました。

余談ですが、牽引車とトレーラー部分はご両親の元へ渡りましたが、このカーキャリア部分は他の自動車模型同様、交通事故鑑定人・駒沢幹也氏に永久に預かっていただく事になりました。


同じ牽引車でカーキャリアを牽引します。 純正で緑色のワーヤーパーツが付いています。
ランプ類は銀色の下地にクリアーレッドとイエローで 基本は素組みです


カーキャリアの全景
厳密にはカーキャリアに「危」マークは必要ないのですが、ご勘弁を。
模型も実際に同スケールの自動車を6台載せることが出来ます。
同じシチュエーションで、トレーラータイプも撮影。


気骨の交通事故鑑定人・駒沢幹也氏近影(2004/01)
*現在は鑑定業務を引退なさっています


大変残念なことをお伝えしなければなりません

このトレーラーをスクラッチするきっかけとなった、気骨の交通事故鑑定人駒沢幹也先生が2006年9月26日に永眠なさったことがわかりました。89歳でした。

1997年、東京世田谷で小学2年生の片山隼(しゅん)くんが横断歩道でダンプに轢かれ命を落とした交通事故を覚えていらっしゃる方も多いと思います。この事故では当初ダンプ運転手の供述のみが採用され不起訴となっていましたが、ご両親の魂の訴えが通じて社会的な問題にもなり、事故から2年半も経ってからでしたが運転手に禁固2年、執行猶予4年の刑が確定しました。この逆転判決の大きなきっかけになったのは駒沢先生の事故鑑定でした。これはあくまでも先生の活動の一例に過ぎません。

年齢のこともあって鑑定人を引退後も、「それでは遺族の方々があまりにも不憫だ、どうしても許せない」という内容には例外として鑑定を行われたこともありました。当研究室助手は、本業のマスコミの端くれとして取材で何度も何度も何度も駒沢先生にはお世話になりました。「(一部の)警察のずさんな交通事故捜査は許さない・・・。」ハイテク機器は殆ど使わず、足で現場を駆け回り、「現場の傷は嘘をつかない」を合言葉に誰にでもわかりやすい鑑定書を作成し、数々のずさんな捜査をひっくり返し真実を解明されてこられました。

「まついクン、この模型はいいね、わかりやすく説明できる」「良くぞあのことをスタジオで言ってくれた、いい放送だった」・・・先生に褒めてもらった尊い思い出です。このカーキャリアの模型を持ってご自宅にお邪魔したのが最後になってしまいました。「先生!戦時中に中島飛行機で設計をなさっていたんですって?」「おお?中島飛行機なんて名前を知っているのか?その話はまた今度だなあ」といった会話が最後になってしまいました。

この田宮模型歴史研究室のHPもよくご覧になり、トレーラーの製作日記はカラープリントして製本し、知人に配ってもいらっしゃいました(私にも1冊送ってくださいました)。今回喪中はがきを頂いた奥様にあわてて連絡したところ、「主人はあのホームページを喜んでいて何度も何度も見ていました。本当にありがとうございました」との言葉を頂いてしまいました。

実はこの夏、このスクラッチしたトレーラーの当の事故に関して判決が出ました。駒沢先生と先生のお弟子さんが記した鑑定書が採用され完全逆転判決が出たのです。この吉報が先生の耳に間に合ったのがせめてもの救いでした。

先生、ゆっくりお休みください。・・・合掌。

(2006/11/07)
昨日、駒沢先生のお墓参りに行ってきました。

東京は久々にまとまった雨が朝から降り続いていました。交通事故鑑定で先生にお世話になった遺族の皆さん、交通事故鑑定のお弟子さん、マスコミ関係者、ジャーナリストといった10人ほどで、土曜の午後に墓苑に向かいました。冷たい師走の雨の中、広大な敷地をそれぞれの思いを語り合いながら駅から20分ほど歩くと、先生の眠る場所に到着です。

墓石の前に一同横一列に立ち尽くし、本当に先生が亡くなられてしまったんだと改めて現実を噛み締めます。一人ずつ白いカーネーションを手向け、傘を横に置いて雨に濡れながら手を合わせました。傘にぺたりと張り付いた何枚かの紅葉した葉が、なぜかまぶたに焼きつきました。

「先生は煙草が好きだったから」と火をつけて墓前に供える人、「甘い物が好きだった」とクッキーを供える人、思いはそれぞれです。手を合わせた人の中に、このトレーラー事故で息子を失い、今年夏に逆転判決を勝ち取られたばかりのご遺族夫妻もいらっしゃり、墓前で改めて報告をなさってました。

このページをこの様な形で結ぶことになるのは残念でなりませんが、皆様に報告いたします。

(2006/12/10)

毎日沢山のお花に包まれていらっしゃるのでしょう。合掌。