「ぼくらの小松崎茂展」無事終了


会場出口に大量に展示してあり、その迫力に圧倒されました。



足掛け1年半にわたってお送りしてきた「ぼくらの小松崎茂展」が、本日、無事に全日程を終了しました。

特に最終日である本日は大変な混雑で、一時的に入場制限を考えたほどだったそうです。今回の大手町逓信総合博物館会場では来場者にアンケートをお願いしていたのですが、閉館時間を過ぎても熱心に書いてくださる方が大勢いらっしゃり、とても感動しました。

会場に許可を頂き、その公開されていたアンケートの一部を写真に収めてきました。「またどこかでこういった機会を持てたらいいなあ〜」・・・まさにそう思いたくなる暖かなメッセージが満載でした。その一部をご紹介します。

(2006/12/03)
今回の展示に関しては感謝の私信も沢山頂きました。

その中から、こちらこそ感謝させて欲しいメールを1通紹介させていただきます。このHPに掲載するに当たり、ご本人様からも快諾を頂いております(一部固有名詞を仮名にしました)。

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11月16日、出勤前に待望の「ぼくらの小松崎茂展」に行ってまいりまいりました。以前から出版物で目にしていた懐かしい箱絵や初めて見る風景画、先生自筆の文章など時々の友達の思い出や新しい発見がありとても素敵なひと時となりました。

その中である箱絵に目が行ったとたん体中から吹き出るような思い出で一杯となりました。「M4A3E2」、当時東京の小学校4年生だった私が強烈に祖母にねだったそのものがそこに飾られていたのです。○○の片田舎でそれは売っているはずも無く、何日かたって「かんべんね。」とすまなそうに電話を掛けてきた祖母の声を昨日のことのように思い出されました。

夏休みに帰郷した際、ある玩具売り場でそれを見つけ小躍りしながら店のおばさんに持っていくと、そのおばさんは私を見て「おまん、まさぼうだね。」と包装紙に包みながら話をはじめたのです。 祖母がここにも何度も足 を運んだこと、大事な孫の頼みごとだということ、市内中の玩具店を探してまわったがどこにもなくて途方にくれていたことを店のおばさんはゆっくりと話してくれました。 この店でも同業者や、□□市、△△市 の問屋に問い合わせてくれたようでした。10才だった私はその話に驚きましたがどのようなことか理解できず。包みをかかえ有頂天になって帰りました。 祖母の晩年、「まさぼうは『エムよんしー』が 好きだったね。」と思い出話をしながら優しく笑いかけることも何度かありましたが私には遠い昔のこととしてろくに返事もせず聞き流してしまいました。

 今、この箱絵を40年近くたってまた目の前で見たとき、祖母の孫への思いの大きさと、それを感じとることができず感謝のことばさえ言う事ができなかった自分への情けなさが一度に噴出してきてしばらく何も見えなくなりました。

 会場を後にしてみると子供のころの思い出をこれだけ強く映し出させる小松崎先生の作品は本当に凄いと感じました。 この様な催しが開催された事、そして助手様が会場に大事な箱絵を展示してくださったことを心より御礼申しあげます。 そこに行かなければずっとそのままだったように思います。 もうすぐあの頃の祖母の年に近づく私にはひとつのけじめがついたような感じがします。助手様、ご関係者の皆様本当にありがとうございました。

(2006/12/04)


これがそのキット、一つ一つに忘れがたい思い出があります。