ボックスアートの加筆修正


タミヤの歴史の中で、一時期ボックスアートに修正が加えられたことがありました。対象になったのは殆どが高荷義之画伯の作品です。この事について「高荷義之〜プラモデル・パッケージの世界/大日本絵画」の中に、畏れ多くも当研究室の分室として原稿を書かせていただきました。その前文を転載します。
「加筆修正」。読んで字の如くで内容は理解できますが、普通はボックスアートに馴染まない言葉です。良質のプラモデルは一度金型が出来ると非常に息の長い商品になりますが、長い年月の中でキットの内容変更や値上げ再販などによってボックスアートが変更になる場合が出てきます。この場合、大半は全く新しい別の絵に差し替えられるのですが高荷画伯の絵は「元の絵はそのままで、指定された部分だけ修正してくれ」という指示のもと、大量に『加筆修正』されたのです。それはまさに高荷画伯が脂ののった1970年代半ばの事でした。ここではその"事件"について研究してみましょう。

時まさにオイルショックの真っ只中の1974年、プラモデルの値段がわずか1年足らずで倍の値段になってしまうという子供達にとっての死活問題の中、タミヤ1/35リモコン戦車の箱が経費節減のため一回り小さな箱になりました(当研究室では「大箱」→「小箱」と呼んでいます)。そして同時にボックスアートも一部書き替えられたのです。ロンメルからサイドカーが消え、キングタイガーからはマシンガンを撃つ兵士が削除されていきました。

この事についてタミヤニュースVol.58(1976/06)に「2年ほど前、アメリカの代理店から、タミヤの箱絵は誇大広告の疑いをかけられているとの連絡が入りました。以来、箱絵に関しては多少の軌道修正を余儀なくさせられたのですが、特に1/25,1/35のリモコンが問題とのことでした。」とあります。つまりキットに入っていない物を箱絵に載せるなという事ですが、名指しで指摘された大半は高荷画伯のボックスアートでした。これについては「高荷義之イラストレーション(1986/徳間書店)」のあとがきで画伯自ら「私は動きのある、ドラマチックな場面が好きなのですが、昭和49年より箱に入っていない物は絶対に描くなの厳命を受けてしまいました。青筋を立てて抗議してみましたが、営業上の方針でどうにもならなかったのです。その上、以前に描いた絵まで、人物を消される始末でした。アメリカの消費者運動のとばっちりを受けたのです。」と振り返ります。「青筋を立てて抗議した」というくだりに当時の血気盛んな(失礼)画伯の意気が感じられます。余談ですが先のタミヤニュースVol.58の翌月に出たVol.59の「模型ファンをたずねて」が、 なんと高荷画伯なのです。青筋立てて抗議した高荷画伯をタミヤがフォローしたのかと思いましたが、ご本人にはその意識が全く無かったそうです。ところで先頃田宮俊作社長に確認したところ「アメリカの消費者団体からの正式な抗議は結局無かったなあ。ウチの自己規制だったんですよ」との事でした。

これらの理由の他にキットの金型改修や、別スケールキットへの転用、そして何よりも新資料の発見などでより真実へ迫りたいという画伯自身の意志でボックスアートは加筆修正されました。順にたどっていきましょう。
〜といった風に画集の中では15のアイテムについて考察してあります。
ここではその中から一番「濃い」部分を転載しましょう。
1/35キングタイガー


高荷義之
「プラモデル・パッケージの世界」
平野克己 編

大日本絵画/アートボックス
¥5000
(1999/12/23全国発売)