その2 山野純治さん


「“その1”なんて書きながら、ホントに次はあるの?」と一部で思われていた「模型ファンを勝手に訪ねて」ですが、なんとか2回目の記事も書く事が出来ました。タミヤニュースコラボ企画ですので、発行日にあわせて本日更新いたします。

今回もまたまた伝説のお方、山野純治さんです。山野さんは史上初めて「人形改造コンテスト」と「パチッ特集号」でどちらも金賞に輝いた方なのですが、当研究室助手にとっては誰がなんと言おうと「寅さん」の山野さんであり、「北アフリカ」の山野さんです。詳しくは本文のタミヤニュースVol.411(2003/08)に譲りますので是非ご覧下さい。ここではカラー画像を中心に補足します。
(タミヤニュース編集室より許可をいただけましたので、その本文も数ヶ月遅れでこのHPにUPさせていただきます)

「人形“改造”コンテストなんだから、必ず既存の人形をベースに改造することを考えていました。そんなたいした事してませんよ」とご本人は謙遜なさいますが、作品を作る時は大量に保管されている人形の腕や足のストックパーツから「どのパーツが使えるか」をまず考えたそうです。

余談ですが、「消えた部品を必死に探す」という作品は、当研究室助手を含めて誰しもが強烈に印象に残っている作品ですが、今回人形改造コンテスト作品集をすべて見ても発見できません。ご本人も「確かに見たので、どこかに載ったはずなんだけれどなあ」とのことでしたが、ようやくタミヤニュースVol.51(1975/05)第3回人形改造コンテスト入選者発表のページで発見できました。

(2003/07/10)


第2回人形改造コンテスト(1974/03) 銅賞
あまりの良さに急遽ユーモア賞が制定された
第5回人形改造コンテスト(1977/03) 金賞
当時応募者に郵送された結果速報(ご本人提供)


こんな感じで自作ケースで保存されています 「こたつだ!」「桃太郎だ!」
第1回人形改造コンテスト佳作入賞作品 なんと電動ターンテーブル!!
問答無用「寅さん」。30年前の作品です。 本邦初公開!寅さんの横顔
本邦初公開!寅さんのうしろ姿 はらまきの立体感も完璧
「口を開けた人形を作りたかった」と大胆なデフォルメ 小物の質感も素晴らしい
カラー画像初公開の浦島太郎 このアングルも初公開の「桃太郎」
妙に、みんなが覚えているこの作品
ニッパー、インスト、畳・・・
「消えた部品を必死に探す」
パソコンの無い時代に手作りの縮小キット


といったわけで、“人形改造コンテストの”山野純治さんという風に勝手に思い込んでいたのですが、パチッ特集号13で衝撃的な写真に出会いました。「北アフリカ」です。

それまでの他の方のあらゆる作品と明らかに違うリアル感はどこから来るのだろうと考えると、答えは簡単に出ます。それは“人物の描き方”だったんですね。情景写真におけるフィギュアの重要性を、一言も文字を使わずに強烈に訴えています。

当研究室助手にとって山野さんの最高作品はタミヤニュースVol.64(1977/03)に載った「北アフリカ」です。アーマーモデリングの土居さんが「山野さんはボクにとってのアイドルですから」と今もおっしゃったり、モリナガ・ヨウさんがモデルグラフィックスに連載された“35分の1スケールの迷宮物語”で「アフリカ軍団の砲兵は山野純治氏にしか作れなかった」なんて書いてあるのを見ると、遠く離れた日本中の各所で当時同じことを考えていた人がやっぱりいたんだなあと嬉しくなりますね。

第1回の白田さんもそうでしたが、ご本人は当時の作品に対して「どうしてそんなに」と思うほど謙虚です。個人的にしまいこまれているので、ごくごく限られた人しかその作品を見られないのですが、その作品は愛情を込めて今でもとても大切に保管されています。

当研究室の思いは「素晴らしい功績を、より沢山の方に見てもらいたい。そしてこういった方をもっともっと正当に評価していただきたい」この一点に尽きます。ご感想がありましたなら当研究室掲示板か当研究室助手への直接メールでお寄せください。責任を持ってご本人に転送します。

パチッ特集号13(1976/10) 銀賞
パチッ特集号17(1978/10) 金賞

モノクロ写真規定のパチッコンテストにあわせて
彩度を落とす為、あえてセピアカラーで塗装されている
(現在も東京荻窪kiyaホビーで展示中)
疲れ切ってもたれかかる兵士の背中は
平面に削り取られて塗装もされていない
大胆な発想に驚くばかり
こんな自然なポーズの人形も(→) 下半身のベースは「砂漠のネズミ」のあの兵士
(どの兵士か瞬時にわかれば、あなたもかなりの・・・)
ドライバーの腕もさりげなくクロスさせてある V号戦車の脇に立つ兵士(後ほど参照)
今も大切に保管してある写真集 トップ画像はなんとビッグショット!
このストームタイガーは当然「これだけは作ろう」 な、なんと当時フルスクラッチ!!
もちろん九七式もタミヤから発売前のスクラッチ ローターもたわませてあり、後部ハッチからは・・・
これは素晴らしいアイデア!
真っ白なバックで撮影し、プリントしてからサインペンで・・・
ご覧の様にイメージが出来てから
ストラクチャー(構造物)を作り始める
当時の撮影風景 この場所からあの素晴らしい作品群が生まれた
地面も作りこんであったが、大胆にトリミング タミヤニュースVol.64掲載作品
未公開作品・・・凄い。 群像作品も・・・パネル写真は○ンクレディー
驚きました。手動計算のシャッタースピード
条件を大きく変えて「捨て写真」も沢山作っている
これがウワサの「日本初のガレージキット」
親しい10人ほどに配られただけで販売はありませんでした
一つ一つのパーツはプラバンの積層 手作りのインスト。1/35が泣かせる。

素晴らしきかな!山野ワールド!!