震電


発売期間 発売時価格
1965/4 ¥100



当コーナーで取り上げる初の飛行機は1/72震電です。

機体の説明は他の専門家に任せるとして、当研究室助手は少年時代、このキットを初めて見た時は冗談かと思ってました。よくある「太平洋戦争中、もし完成していたら日本は勝った」みたいな計画倒れ機かと思ったら本当に存在した事を聞いて2度びっくりしました。模型好きのいとこに聞かされていた米パイロットの話として「私は反対向きに飛ぶゼロ戦を見た」というのがあったことが妙に耳に残っており、この機体は相手に「逆に飛んで驚かせる」のが主目的でこんな形をしていると思い込んでいたのです。エンテ型といって、空力的にも、武装的にも優れていた事を知るのはずっと後でした。

戦艦武蔵、パンサー戦車と来て、当然次に来る飛行機としてプラスチックモデルの新生タミヤが選んだのはゼロ戦でした。1963年に発売になった1/50日本傑作機シリーズNo.1のゼロ戦52型は国産初の本当の意味でのスケールモデルのゼロ戦として高い評価を得ました。それから1年後に、より求めやすく国際統一スケールでもある1/72でと始まったフライトシリーズのNo.5がこの震電なのです。

この1/72フライトシリーズには幻のキットが存在します。当研究室にある64年版のカタログの8ページをご覧ください。なんとフライトシリーズのNo.5はF4U−4コルセアなのです!でもタミヤ製の1/72コルセアを今まで見た人いますか?さらにコルセアがNo.5だとするとどうもカタログでのレイアウトがしっくりこないと思っていたら、この64年版カタログは少なくとも2種類の版がある事が分かりました。1985年5月に発売になった「モデルアートまにゅあるvol.2」の巻末特集にあるタミヤ64年版カタログの8ページはコルセアがNo.2で、No.5は雷電になってます。

ややこしくなってきましたが、スケールアビエイション創刊号の田宮俊作氏インタビューからも、結局次の事が言えると思われます。

モデルアートまにゅあるに載っている64年版カタログの方が古い事が他のページからも判りますので、このフライトシリーズは当初、

零戦32型 コルセア 鐘馗 疾風 雷電

となっていたのですが、コルセアの出来についてどうしても俊作氏が納得いかず、とりあえず鐘馗が繰り上がってNo.2となり、雷電が疾風を飛び越えNo.3に入り、コルセアはNo.5となります。この状態でプラモガイドの巻末などにはしばらく載るのですが、ついにコルセアは発売されず、本当に幻のキットとなってしまいます。これについては俊作氏が少年時代に初めてナマで見た米軍機がこのコルセアということで思い入れが強く、逆ガル翼の再現性にこだわった事が良く分かります。余談ですが震電は一時No.6と発表され、No.7として紫電改まで予告されましたが、No.5でシリーズが終わったことは皆さん良くご存知の通りです。

前段がかなり長くなりましたがこうしてようやく震電がコルセアを押しのけてシリーズ入りします。零戦や雷電に比べて知名度で大きく劣る震電のキットはあまり売れなかったそうです。このキットが注目されるのは皮肉にも製造中止が発表されてからでした。マイナーな機体だけに絶対に再販は無いと思われたか問い合わせが殺到し、逆に何度も再販を重ね、最後は定価¥600にまでなりました。

この再販キットはかなり出ていた為あまり珍しくも無いのですが、その箱絵をお持ちの方はこのHPを見て違いに気づかれると思います。この初版のボックスアートは小松崎茂画伯です。説明書をご覧ください。1/72フライトシリーズは旧ロゴで出た発売当初はすべてモーターライズでした。スタンド内に単3電池を入れ、TKKベビーモター(ミニベビーの前です)でプロペラが廻りました。すぐに中期ロゴ版になり箱の装丁が変わりますがモーターのギミックは引き継がれました。新ロゴになってついにモーターのギミックは廃止となります。

初めて製造中止とアナウンスされた直後にあろうことかハセガワが震電を1/48でキット化し、後には計画機?でもあるジェット震電まで商品化し、マーキングコンテストでおのあずさ氏が大賞を取られたのは記憶に新しいところでしょう。