スコーピオン


発売時期 発売時価格
1963/09 ¥150



パンサータンク、タイガータンク、ロンメル戦車と来て、次にタミヤが選んだのは誰も想像出来なかったスイスのモワック装甲車でした。これを「スコーピオン」と名付けます。車体側面に描かれたサソリマークも勇ましく、軽快に走り回りました。

私事で恐縮ですが、当研究室助手が生まれたのが1963年3月ですから、当然発売時の原体験はありません。物心ついた時には絶版になっており、田舎の店頭では影も形もありませんでした。その存在さえ知らなかったのですが何かのキットの説明書に線画イラストでこのスコーピオンとスパイダーを発見してしまったのです。当時は総合カタログの存在も知らない為、わかったキットのラインナップをノートに書いて自分でカタログを作っておりました。ミニジェットなどはなんとか埋まるのですが、1/35戦車シリーズは不明のキットが多く、空欄が目立ちました。その中でスコーピオンにスパイダーと二つもキット名がわかったのですがキットNo.まではわからず、結局リストに書き込めません。どんなキットなんだろう?どんな箱絵なんだろう?キットNo.は何番だろう?夢の中で何回買ったかわかりません。結局箱絵一つ取ってみてもわかったのはかなり後(10年以上)になってからの事でした。

模型誌の売ります買います欄なども必死に立ち読みしたのですが、田舎の子供では相手にされないだろうと、おいそれと手も出せません。そんな中、タミヤニュースvol.64号(1977/03)の声の欄に「近頃絶版キットがマニアの間ですごく高価で取引され...(中略)...例えばスパイダーが¥150の物を¥2800といった20倍近くの...」といった記事が載り、「都会のマニアは凄いなあ、早く大人になりたいなあ??」とうらやましく思ったのが今でも忘れられません。

例によって軌道修正しましょう。このキットは1/35戦車シリーズNo.4として発売されました。当研究室の現在の見解としては、タミヤ初の「1/35表記」キットです。それまでのロンメルタンクまでは1/35表記がありませんでした。初版のロゴマークは青の星の中に地球儀マークがある「旧ロゴ(旧)」でTKK03モーター使用でした。その後しばらくしてからモーターが変更になりTKK15となるのですが、その過渡期の時期を限定する貴重な資料が発見されました。当研究室に保管されているTKK15版の中にのパンチセールクーポン券が入っており、この事から少なくとも1966年9月以前にモーターが変わったことが判明します。

つまりこのキットは少なくとも2種類が確認されているのですが、当研究室で保存されている初版の方のボックスサイドには「No.1」という不可思議な記述がはっきりと印刷されています。最近までの当研究室の見解としては、「パンサータンクとタイガータンクが絶版になった時に、欠番を避けるためにキットNo.1と2にスコーピオンとスパイダーが入った事がある。」でして、事実、あるキットの説明書の1/35戦車シリーズの紹介ラインナップにそういった記述があったと思っていたのですが、今回改めて調べてみるとそれは2版目のサラディンの説明書でした。しかしそこには、No.1「SU100」、No.2「AMX−30」と書いてあるではないですか...う〜む、人間の記憶なんてあてにならないなあ...では他の説明書だったかなとも考え、片っ端から調べたのですが発見できません。冷静に考えてみるにこのキットは旧ロゴ(旧)ですから1965年以前ということになり、その時期はまだパンサータンクとタイガータンクが発売されているわけですから欠番繰り上がりに成るわけがないのです。この仮説が崩れたとなると「No.1」の記述は何を意味するのでしょう? 実はスパイダーには「No.5」としっかり書いてあり、当研究室では1/35戦車シリーズ初の“キットNo.表記キット”としているので、このスコーピオンは単に「No.4」との印刷ミスと考える方が自然かもしれません(それにしては赤の“1”という数字が妙に鮮やかですねえ)。

キットNo.については、まだまだ不思議なことがありまして、このスコーピオンとスパイダーは’66〜69年版と’70年版の総合カタログの巻末にそれぞれ「MT103」「MT104」と紹介されているのです。つまりここではカタログ表記上1番ずつ繰り上がっているのです。繰り返しになりますが、このキットの前にはパンサータンク、タイガータンク、ロンメルとある訳ですからスコーピオンのキットNo.は「4」になるはずなのがわかっていただけると思います。現状ではキットにそれぞれ「MT104」「MT105」と表記された物は発見されておりませんので、当研究室ではこれは「総合カタログの印刷ミス」という結論で分類しております。もしこの表示のスコーピオン、スパイダーをお持ちの方は研究室までご一報下さい、お願いします。

大塚康生氏もおっしゃってますが、この模型の走行性能は素晴らしかったそうです。逆転スイッチで前後進し、ゴムタイヤで軽快に走りました。合わせてプロポーションも35年前の設計としては実に見事です。バックミラー付きのライトガードも部品化されており強烈なアクセントになっています。惜しむらくは「スイス陸軍」というマイナーな事で、これがドイツやアメリカならもう少しキット寿命も延びたのではと思われますが、このキットの晩年に始まったジオラマブームには顔を一切出すことなく静かに1970年にその生涯を終えました。
そんな中、本日(1999/11/12)新事実が判明しました!かつて「少年ブック」1963年11月号に「日本プラ模型全集」という小冊子の付録がつきました。「少年ブック」にあの「少年プラ模型新聞」が連載付録として付き始めたのが1964年6月ですから、この小冊子はそれ以前の物です。序文に「この冊子は日本初のスケールキット各社一覧です」とうたってあるのも納得です。この貴重な資料の中に衝撃的な記述を発見しました。

タミヤ初の戦車プラモデルである「パンサータンク」には1/35表記がなかった事は以前発表しましたが、この冊子には「中型戦車シリーズ」という風に分類され、パンサー、タイガー、ロンメルと3種類が紹介されています。そして別のページに、なんと!!「1/35ミリタリーシリーズNo.1 スコーピオン」という記述と一緒にスコーピオンの完成写真がしっかりあるではないですか!!!ミ、ミリタリーシリーズ.....当時の「少年ブック」のオフィシャル性を考えると、シリーズ名を「少年ブック編集室」が勝手に付けたとは考えにくく、これはタミヤの公式なシリーズ名と考える方が自然です。

つまり、当初タミヤはパンサー、タイガー、ロンメルの3キットを1/35スケールキットとせず、スコーピオンで初の1/35とし、これを新たな「1/35ミリタリーシリーズNo.1」としてスタートさせるつもりだったことになります。だから紛れもなくボックスサイドにNo.1の文字が刻まれているのです。しかし、そもそもこのスコーピオンがなぜ1/35という当時半端なスケールだったかというと、やはりパンサータンクのキットが後から大きさを測ると1/35程度だったのでこれで行こうという事だと考えられます。ただ、タミヤとしてはその3部作(パンサー、タイガー、ロンメル)がキットの縦横の大きさとしては1/35程度でも「スケールキット」とうたうには抵抗があり(いいかげんなスケールキット表示がまかり通っていた当時では恐ろしいほどの良心の呵責です)、「本当にスケールダウンしたのはこのスコーピオンから」とした意志がボックストップに誇らしげに丸で囲まれた「1/35」表記に見て取れます。これで先に書いていたこのスコーピオンが「タミヤ初の1/35表記キット」であるとの裏付けが取れたことになり、また一歩真実に近づきました。

ところがその次のスパイダーを発売するにあたり、「せっかくシリーズにするなら数が多い方が良いだろう」「先の3部作がシリーズから外れると消費者が混乱する」「当社の危機を救ってくれた恩人であるパンサーをシリーズから外してなるものか」といった様な理由からでしょうか、スパイダーはキットナンバー「5」となります。先の3部作が1/35戦車シリーズ入りし、初めて正確なシリーズNo.が表記された瞬間です。

スコーピオンの発売は1963年9月、スパイダーは1963年12月、そして先の「少年ブック」11月号の発売は1963年10月。おそらくスコーピオンの「キットNo.1」の秘密を解き明かす現存資料としては唯一と言って良いのではないでしょうか?まさにピンポイントの貴重な資料を提供して頂きました岡田斗司夫さんにこの場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。


2版目:旧ロゴ(新)になり、TKK15となる。
上:初版、下:2版目。問題の「No.1」の表記に注意。


左:初版、右:2版目。モーター設置モールドが違う。 動力メインシャフトは、なんとプラ製。良く折れたそうです。
完成キット提供:十川俊一郎氏 迫力あるプロポーション。

サソリマークのスライドマーク 静岡模型教材協同組合

問題のサラディンの説明書。こういったリストは穴のあくほどよく見ました。(○付けたりして...)


これが「日本初のスケールキット各社一覧」!
ち、中型戦車シリーズ!!!
み、ミリタリーシリーズ!!!