B-52F
発売時期 発売時価格
1970/04 ¥1300


1968年からスタートした1/100ミニジェットシリーズは、大半のキットが¥100という安価な価格設定だった為、若年層にも大歓迎されました。発売から、たった丸2年でキットNo.が15を数えるという製品開発ペースの速さもあいまって、「次は何が出るだろう?」というワクワク感はたまらないものでした。

No.10までがすべて¥100、No.11のビィゲンからNo.15のイリューシンまではすべて¥150ということで、「次も¥150か?あるいは¥200なんてのもあるかな?」と100円玉を握り締めていた子供達にとって、圧倒的な迫力で発表されたキットNo.16は想像をはるかに超える¥1300という金額のB−52Fストラトフォートレスでした。

私事ですが、当研究室助手のファーストタミヤキットがこのシリーズのNo.5ミラージュとNo.15イリューシンだった事は以前お伝えしましたが、そのイリューシンにホビーキットカタログという二つ折りのミニカタログが入っていました。「二号戦車新発売」と書かれ、ミニジェットはNo.18、19、20のバートル軍用型、シコルスキー、バートル民間型の写真のみが載ってました。つまり、助手が初めてタミヤに触れた時は既にこのB−52は発売になっていたのです。しかし総合カタログの存在など知る由も無く、このシリーズは他にどんなキットがあるのか興味を持って調べ始めたばかりで、まさかこんな「地雷」が埋め込まれているとは夢にも思ってませんでした。

説明書の下に「作ろうミニジェット機シリーズ」なんて書いてある不完全なリストを組み合わせたり、箱の横に書いてある他のキットのボックスアートを見たりして、ノートに鉛筆で書き出して独自リストのラインナップ完成させようとしていたのですが、小学生のやっている事でなかなか資料も無く完成しません。そんな折り、何かのキットを買った時についに全貌がわかるホビーキットカタログが付いてきました。「1/48疾風新発売」と書かれたその紙に、ミニジェット機シリーズのすべてのラインナップが書いてあったのです。「やった!」と思ったのと同時に胸のつかえがすうっと抜けていったのを今でも覚えているのですが、ある一行を見て目がテンになってしまいました。「このB−52って何?」

ミニジェット機シリーズを全部揃える事を目標にしていた田舎の小学生にとっては、あまりにも強烈なインパクトと謎が一緒にやって来ました。どんな機体か想像もつかないのです。どうやらミスプリでも無さそうだし、明らかに他と一線を隔した価格設定から想像は逞しくなるばかり....始めは10機ぐらい入ったギフトセットの暗号かとも思いました。そんな時4歳年上の従兄から航空ファンか何かに載った1枚のB−52の写真を見せてもらい、ようやくどんな飛行機かがわかったのです。しかしボックスアートまではわかりません。頭の中でB−52の箱の大きさは無限に大きくなっていきました。そんなバックグラウンドで、お正月がやって来ました。自宅から20kmも離れたところの大都市?にある模型専門店に生まれて初めて連れていってもらい、そこで何の前触れも無く目の前に現れたのがこのB−52でした。予算は¥1000まででしたから、子供心にあきらめていたのですが、父親の機嫌がなぜかすこぶる良く「そんなに欲しいなら買ってやる」となったのです。

すいません!このキットだけは思い入れが強くありすぎて、この3ブロックは全く資料性の無い思い出話になってしまいました。

キットのフタを開けてみましょう。中央に入ったカラー印刷のオビを見ると、あの模型店での感動が甦り.....(もういい)。今冷静に考えるとこのオビは箱の強度を保つ重要な役割を果たすと同時に、高級感あふれるカラーガイドになっていたのですね。キットの組み立て自体は難しいところは全く無く、スラスラ組めました。全長47cmという大きさではさすがに完成後の置き場所に困ると思ったのか、天井から吊るす為の真鍮製フックまで入ってました。

キットは数あるB−52の中からF型をモデライズしたのですが、ベトナム戦争に参加した、より一般的な型という事で、1973年11月にキットNo.25としてB−52Dが発売になります。前後しますがタミヤニュースVol.23(1970/09号)の「これだけは作ろう」に早くもB−52FのD型への改造記事が出ていた事からもわかるように、こちらの方が人気があったのでしょうか?主な変更点はエンジンポッドの形状や成形色がシルバーからダークグリーンになった事、そしてスライドマーク(ラベンダーパンサーが入った)等でした。そしてこのD型の発売と時を同じくしてこのF型は製造停止になってしまったのです。一方D型は息の長いキットになり、他のキットが1979年にすべて製造停止になる中、たった一つでミニジェット機シリーズの名前を世に残し続けました。

ところで1975年5月に、何の前触れも無く限定版としてシルバーメッキ版がキットNo.27として発売されました。外箱も新規に作ったものではなく、No.25のB52Dの表面とサイドに黒地に銀文字のシールを貼った物でした。タミヤニュースやジュニアニュースにも全く触れられていません。総合カタログを紐解いてみますと1976年版の巻末に「No.27 メタリックB52 ¥1900」と1行だけ記述がありますが本文には紹介はありません。ただ、本文にあるNo.25のB52D完成白黒写真が妙に輝いている銀塗装なので、メタリック版を元に塗装している様に見えます。驚く事に翌年の1977年版カタログでは本文はおろか巻末にもその名前が無くなってしまいますのでまさに1年足らずの幻の限定版です。しかしその1977年版のB52D(No.25)は豪華に2種類の完成品がカラー写真で紹介されているのですが、その一つ、アメリカ戦略航空軍団標準塗装バージョンはどう見てもメタリック版を使っています。これにより、前年1976年版に載った写真はこのキットだった事がわかります。

メタリックと言うと「銀メッキ」ですから、どうしても安っぽいオモチャを想像してしまうのですが、さすがタミヤが「シルバーフィニッシュ」と謳うだけの事はあり、見事な仕上がりです。もともとキットの表面処理でパネルの質感の違いが表現されていたものが、このシルバーフィニッシュでいっそう鮮やかに浮き上がり、惚れ惚れするほどです。粗悪な他社製品から来た先入観を駆逐する素晴らしい技術がわずか1年で無くなってしまったのは本当に残念だったのですが、20年の時を経て1/48ムスタングとMIG−15で復活したのは皆さん良くご存知だと思います。

大量の爆弾に、接着剤が2本。ケタ違いでした。 箱いっぱいの大きさのランナー。
F型のエンジンポッド。フックも見える。 デカールの右下はプレート用。
主翼2ヶ所と操縦席後ろの計3ヶ所。 D型のエンジンポッド。サイド部品も異なる。
No.27シルバーメッキ版の外箱。 宝石のように美しい箱の中。
素材の表面処理の違いが見事に浮き上がる。 3バージョン揃い踏み。