中西 立太


なかにし りった(1934/03/18〜2009/01/11)



主な作品 1/48 M60A1E1 ビクター フジミ 1/76 ワールドアーマーシリーズ
フジミ 1/76 ワンカットシリーズ
フジミ 1/76 ビッグバトルシリーズ
ミドリ 1/40 装甲車シリーズ
ニチモ 1/35 エレファント(S)
ニチモ 1/35 パンサーG (S) など
ニチモ 1/48 完全スケールシリーズ
フジミ 1/48 T-38Aタロン
フジミ 1/48 ダッソー ミラージュ 3C
ミドリ 1/28 飛燕  など


静かに眠る中西先生のご自宅仕事場の原稿類の上に、なぜかこの絵が置いてあったそうです。
今となっては、髭をたくわえたパイロットの顔が先生に重なります・・・


この本は当時の少年の心をガッチリとつかみました。 (1975年3月20日 1刷)




新年早々、なんとも信じられない残念なニュースをお伝えしなければなりません。

中西立太画伯が本日(もう昨日ですね)、2009年1月11日に急逝なさいました。直前までいつもと変わらずお元気だったのに、10日夜に体調を崩されて病院に救急車で運ばれ、翌朝に亡くなられたそうです。74歳でした。

全く実感がわきません・・・。昨年暮れに「小松崎茂先生謝恩の会」でお会いしたのが最後になってしまいました。画伯はいつもお元気な方で、画伯の方から気さくに我々に声をかけてくださいました。

画伯がタミヤのボックスアートを担当したのは、意外な事になんと1作しかありません。それは1/48ミニタンクシリーズのM60A1E1ビクターです。イロコイスヘリコプターとの共同作戦中の一面をとらえたもので、それまでのボックスアートとは完全に一線を画していました。ただし、タミヤとの連絡が一部上手く伝わらず、縦横の発注比率が間違って伝わってしまったのです。結局タミヤ社内でイロコイス先端より右側を加筆して事なきを得たのですが(うっすらと縦に線が残っていますね)、その加筆をしたのは若き大西将美画伯でした。後に中西画伯の提案で、ビクターのボックスアートにお二方連名でサインを頂きました。

画伯はフジミ1/76ワールドアーマーシリーズを始め、実に多くのボックスアートを手掛けていらっしゃいます。中でも1/76ワンカットシリーズのボックスアートはストーリー性も良く考えられており、現代の目で見ても何ら遜色はありません。またニチモの1/48航空機の殆どは中西画伯が手掛けられました。

画伯は1975年にジャガーバックスから「ドイツ機甲軍団」という本を記され、少年たちから大きな注目も集めました。他ならぬ当研究室助手もその一人です。ちなみにこの本には弟子である小林源文氏も劇画を載せていらっしゃいます。

画伯が最近特に力を入れていらっしゃったのが「日本の甲冑」です。画伯の作品を集めた上下巻の、間もなく下巻が発売になるというタイミングだったそうで、画伯執筆分の文字原稿も、ちょうど入稿を終えたばかりのタイミングだったそうです。まさに遺作となります。

・・・やはりまだ全く実感がわきません。ただただ画伯のご冥福をお祈りいたします。

(2009/01/12)


「ドイツ機甲軍団」より。当時のカンプの作品とダブった有名なシーンです
なぜか当時イギリス贔屓だった当研究室助手にとって大好きだったページです
当時の少年にとってこの絵はやはり衝撃的でした。マルイから車両キットも出ました


2009年1月9日に画伯から届いた手描きの年賀状です。


昨日、葬儀に出席してきました。

あまりにも唐突な事で、正直未だに実感がわかないのですが、当のご家族の方々が一番それをお感じになっていらっしゃるようでした

喪主であるご長男の会葬御礼挨拶は、気丈で心を打つ、とても立派なものでした。私にとっては初対面の方でしたが、タミヤニュースvol.73(1978/05)の「模型ファンをたずねて」の写真で、中西先生が膝に抱いておられた小学1年生の男の子が、まさにその方でした。

ご香典返しに頂いた物の中に、下記のポストカードが、ご家族のメッセージと主に入れられていました。ここに記しておきます。

(2009/01/16)